人の職業を笑うな

you can (not) find a vocation

会社員→転職→独立して気付いた「選択自体は重要ではない」という事実

Sponsored by SK-II

「運命を変える力は、あなた自身の中にある。誰かに決められた期限なんてない。」


スキンケアブランド・SK-IIのキャッチコピーである。
不安を掻き消し、グッと背中を押す力強さを感じる。


同ブランドは現在、「年齢って何だろう?」というキャンペーンを行っている。
キャッチコピー同様、僕らが日々抱える「いつか訪れるであろうタイムリミット」の怯えから脱する、前向きで、力強い動画が印象に残る。


今回はそんなSK-IIのPRで、「年齢と選択」をテーマに記事を書く。

「なんとなく、焦っている」。そんな気持ちの人たちに届けばいいなと思う。




「将来が迫っている」と最初に気付いたのは、15の春

幼いころは可能性と希望に満ちていた「将来」が、いつの間にか現実的で重苦しいものに変わってしまったと実感したのは、15かそこらのころだった。


多くの人は、子どものころから「将来の夢は?」と尋ねられて育つ。

イチロー本田圭佑は、ここできちんと現在の職業を答えるが、イチロー本田圭佑ではない僕らは、なんとなく「パン屋」とか「ゲームを作る人」と答えた。

そして現在は、公務員だったり食品メーカー勤務だったりする。


いつ、どのタイミングでズレてしまったのか?

考えてみれば、それは最初からである。イチロー本田圭佑は、その夢を掲げたときから今まで努力をしてきた。

イチロー本田圭佑じゃない僕らといえば、夢は夢のままにして、なんとなく勉強し、なんとなく習い事を終え、恋に落ち、人間関係に悩んでるうちに、思春期を終える。


そして高校に入学するころ、僕らは「文系」「理系」というひとつ目の岐路に立たされる。

「お前、将来何になりたいんだ? それによって文系理系、進路が変わるかもしれないぞ」
担任の突然の質問に動揺する。

(え、「将来」って、もうそんな目の前にあったんだっけ……?)

「数学ができない」という消極的な理由で文系を選んだ僕は、15にしていくつもの可能性を捨てた。多くの人はそうやって、「選ぶ」というよりは「捨てる」という感覚で、自分の人生を取捨選択してきたのではないかと思う。


18の受験で、学部や専門学校を選ぶとき。
21の就職活動で、会社を選ぶとき。
僕はいくつものタイミングで、可能性を捨てては妥協を拾いあげ、大人になった。




挑戦をやめた人から老いるのだと知った、26の秋

約10年後の2012年8月。25歳の僕は、生き急いでいた。

夢らしい夢は描ききれないまま社会人になり、会社と自宅に敷かれた、無機質で味気ない通勤路をただ往復する機械と化した。


「このままじゃダメだ」と思う一方、「でもどうしたら?」の答えが出ない。

気持ちを少し落ち着かせてくれたのは、40歳を過ぎた知人ができたときだった。


「秋から会社やめて、独立すんだよね。稼ぎ減るけど、超楽しいこと浮かんじゃって」


僕らはいつも、年上には年上らしい落ち着きを求め、勝手に「年上らしさ」をイメージする。

10歳の僕らにとって20歳はとても大人に見えたし、20歳の僕らは30歳をオッサンだと思っていた。30歳の今、40歳になったら挑戦をしづらくなるし、60歳になったらフットワークは重くなるものだと思っている。


しかし、ここで出会った40過ぎの友人は、それはまるで10代のように、楽しそうに「これからやりたいこと」を話した。


「40過ぎても、挑戦していいのか」

当時の僕は彼を見て、あたりまえに失礼な感想を抱いたものだった。


誰も年齢なんか、気にしちゃいない。

そりゃあ、ファッション誌のモデルになりたかったら、若い方がいいかもしれない。でも「LEON」だったら? 「STORY」だったら? 夢は少し形を変えて、叶う可能性だってある。


40過ぎたオッサンの瞳は、まるで10代のソレだった。

人は、挑戦をやめたときに老いるのだと初めて実感した。

そして今の僕は、なんとも老けて見えるなあと鏡の前に立ち尽くした。




「やらない後悔」はしないと決めた、27の夏

オッサンと出会って約1年。「善良な会社員」を始めて丸5年。

プレスラボという編集プロダクションから声をかけられて、僕は4万人の大手企業を辞めて、6人のベンチャー企業に転職することを決めた。


「ライター未経験だよね? よく周りが許したね?」

「あはは、説得には時間かかりました」


本当は、誰も許してくれてはいなかった。


社会的信用も、福利厚生もなくなる。

できてまだ6年かそこらの会社に、自分と家族の命を預ける。

リスクしか感じさせないこの決断を、手放しで応援してくれる人はどこにもいなかった。


でも、周りが僕を許さない以上に、65歳まで一般企業で歯車のように働く自分の方が許せなかった。

「このまま何も残せずに死ぬのかな」と、毎日思いながら通勤していた。

世界の中心が自分ではないことぐらい把握している。でも、人生の中心ぐらいは自分であってもいいと思っていた。



転職サイトに並ぶ「未経験歓迎」「年収400万」の胡散臭さを信じることもできなかった。

尊敬していた人から「うちで働いてみない?」と声をかけてもらえたこのチャンスは、一生に一度のように感じられた。


「やらない後悔より、やる後悔だ」


両親や家族を説得することは、最後までできなかった。
けれど、これはもう転職後に成果を出すことで納得させるしかないと思った。

今考えれば随分と身勝手な選択だ。


27歳。3年がんばってもダメだったら、30歳でもう一度転職できるかもしれない。

これが自分にとって「失敗できるうちの最後のチャンス」だと思い、僕は飛び込むことを決めた。

居心地のいい場所に甘えてはいけないと思った、30の春

約束の3年が経った、30歳の春。

「前職よりも、経済的にも精神的にも安定させること」を目標に働きまくった結果、収入は増え、月曜を憂うつに思うことがなくなった。


これを、転職の成功と呼ぶ人もいた。

でも、内心、一般企業に勤めていたころよりも、将来への不安は漠然と大きくなっていた。


「来年には食えなくなっているかもしれない」

インターネットを取り巻く環境の変化は、想像を超えるスピードだった。

たった3年にしてたくさんのメディアが誕生し、姿を消すところを見た。

その荒波に飲まれて姿を消す自分の姿も、なんとなくイメージしてしまった。


そこで、もう少し仕事の幅を広げようと思った。

AIも発達してきて、どの仕事が生き残り、どの仕事がなくなるのかは正直わからない。

だったらいろんな仕事をしていたほうが、生き残る確率は、たぶん上がる。


もう、実績がなければ転職も難しいとされる30歳。

僕は編集プロダクションを辞めて、フリーランスとして働くことを決めた。


「よく周りが許したね?」


またしても、よく聞かれた。

僕は、妻に言われた一言を思い出して答える。


「転職後の3年を見ていて、貴方はもしもライターだけで食べていけなくなったら、夜勤の道路工事やコンビニバイトでもしながら、意地でも人生楽しみつつ養ってくれる人だとわかったから」


編集プロダクション時代の「稼ぐ努力」は、言葉にせずとも周りに安心感を生んだようだった。

企業から企業への転職のときはあれほど反対されたのに、会社員からフリーランスへの転職については、驚くほど簡単に周りが認めてくれた。


大切なのは、選択する瞬間ではなく、その後の努力なのだと学んだ。




選択したときよりも、選択した後からが本番である

別に、自己啓発本のように、強引に背中を押したいわけじゃない。

成功体験を上から目線で書き綴りたいわけでもない。

でも、「なんとなく、焦るなあ」と感じている人に伝えたかったのは、選択することはさほど大変ではないということだ。


子どもがいるから。

親の介護が。

夫が許さないし。


お金がないから。

時間もないから。

もう少し勉強してから。


今の仕事は辞めにくいから。

婚期を考えるときついから。

周りは落ち着いていくから。


土足で脳内に入ってくるいくつもの言い訳が、僕らを今日も平凡で終わらせようとする。

でもそれらを全て押し殺して選択したときに訪れる「なんだ、できるじゃん」という自分への自信が、きっと人生を小さく変え、その小さな変化が、人生を大きく豊かなものにしていくと思っている。


「間違った道だったかも」

「やっぱり無理だったかも」

引き返すことができないなら、その道が正しかったと言えるようになるまで努力するだけ。


年齢も、収入も、職業も、きっと大して関係ない。

やりたいことができたなら、できない理由を探すより、叶えるための手段を探して生きていたい。そして踏み出してしまったからには、その道が正しかったと思えるように、ただひたすらに努力していくだけである。


僕は、イチローや本田圭祐にはなれなかった。

でもまだしぶとく生きているのだから、せめて残りの人生で、小さな逆転劇を目指したいと思う。


大きな夢や野望はなくとも、せめて過去の自分に誇れる人生にしたい。

どこかくすぶっている人たちが、そんな気持ちになって動いてくれたら幸いである。

特別お題「『選択』と『年齢』」

はてなブログでは、SK-IIの提供で特別お題キャンペーンを実施しています。キャンペーンの一環として、多方面で活躍するはてなブロガーに「『選択』と『年齢』」について記していただきました。